死に際の脳内にはあの音楽がかかる気がする

刀剣乱舞3周年、おめでとうございます。
初日から始めた私は、リリース3周年と同時に
審神者就任も丸3年と相成りました。

このブログを読みに来て下さってる方は確実にTwitter経由でしょうからわざわざ説明するまでもないとは思うのですが、刀剣乱舞とは私が愛してやまないゲーム、ひいては各種メディア展開を含むジャンル全般のことです。

時は西暦2205年。
モノの心を呼び覚ます能力者である『審神者(さにわ)』が、
日本刀の付喪神『刀剣男士』を従えて、
過去の修正をたくらむ『歴史修正主義者』を相手取り
歴史を守る戦いを繰り広げる…

といった大筋のゲームで、未来の話でもあり過去の話でもあるためか、細かい設定や判断を、ある程度プレイヤー及び各メディアに委ねているフシがあるのが特徴です。

最初はPCのブラウザゲームから始まりましたが、今ではアニメ・ミュージカル・舞台など様々なメディアに展開しつつ、刀剣を祀る神社や収蔵する美術館博物館などともコラボして、様々な広がりを見せてくれています。
既にゲーム発足から3年が過ぎ、各種メディアに展開している今、ゲーム未プレイ勢に何も不思議はないし、もちろん悪いことだとも思っていません。アニメからはまった方も、舞台からはまった方も、日本刀が好きで入った方もいらっしゃることでしょう。そういうジャンルになったことがとても嬉しい。各種関係者さま、ありがとうございます。

そんな中、昨日はゲームの3周年でした。
ゲームが他メディアと一線を画すのは、「プレイヤーは、自分だけの本丸を持つ」という点です。
このシステムでなければ、「好きに遊んでいいよ」とばかりに本丸を与えられたりしなければ、こんなにはまることはありませんでした。
たかがゲームたかが立ち絵の数枚、しかしそれを媒体に、私の心に自分だけの本丸が出来たのです。

刀剣乱舞が私にくれたのは、心の遊び場であり不可侵の箱庭。
心のどこか、わりといい場所に、お山の奥の本丸が出来て、そこであの子たちは審神者と共にわちゃわちゃ暮らしているのです。私はその様子を遠く近く見ているだけの人で、あの子たちがこちらを見ることはない…というスタンスでやってきたのですが、どうもついでに守ってもらっている気がします。

そうして湧き出てくるお話の数々と、形にしようと思える衝動と描くための根気、それを誰かに聞いてほしい読んでほしいと思える気持ち、それを読んでくださった方々が返してくれた暖かい言葉の数々。

それから、「ちょっと遠くだけど出かけよう、あの子たちに挨拶しに行ってみたい」という気持ち。
徳川美術館で見た鯰尾藤四郎は、刀剣乱舞の絵を描き始めたきっかけでした。トーハクの三日月や厚くんは美しかった。京都の刀剣御朱印巡りは本当に楽しかった。長谷部や歌仙さんは愛されて大事にされていた。
まだ行ったこともないのに親しみを覚える土地や、いつか訪れたい場所もたくさん増えました。足利にも、徳川ミュージアムにも、佐野美術館にも行ってみたい。

さらには、ミュージカルや舞台。チケットの当落に必死になり、ペンライトを振る人生が自分を待っているなんて、本当に本当に、想像もしていませんでした。しかも2本(増えた)

3年前、「流行りモノに構えるのをやめたい、軽率に手を出したい」という実に軽い動機で始めてみたときは、こんなことになるなんて予想もしていませんでした。
予想よりずっとずっと、本当にずっと、楽しいことになりました。

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昨日はリリース3周年と同時に就任3周年でもあるので、
本体である刀を差しだした状態で座した近侍が下がったのちに
いつもの本丸で再び近侍がひとこと祝ってくれる―――のですが。
この時のBGMがよくない。
良すぎて泣いてしまうという意味でよくない。
一番よく聞いてきた、本丸のテーマの優しいオルゴールアレンジ。

もし今うっかり死ぬことになった時にこの曲がかかったら、死に際はきっと安らかなことだろう…と真顔で思うし、うっかり長生きして数十年後に死ぬ時も、この曲が聞こえたら泣きながら笑う気がします。好きだった何もかもを思い出して。

ありがとう刀剣乱舞、ありがとう私の神様たち。
関わる全ての皆様の、ますますのご健勝とご活躍を心よりお祈りしています。
ずっと好きでいるって決めているから、4年目もどうぞよろしくね。

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