【ゾンビランドサガ感想】安心と不安の両極/守られている少女たちと、ゾンビではない何か

てっきり『ゾンビランド』なる異世界で暮らす女の子たちのサーガなのかと思っていたら

◆古今問わず死んだ女の子たちが何故かゾンビとなって蘇り
◆現代社会で、特殊メイクを施され
◆佐賀県復興のため、ご当地アイドルとしてがんばる話

でした。佐賀。
読んだ通りの滅茶苦茶な設定ですが、力押しで無理を通しつつ、裏で設定が組まれて計算されていて、表でハチャメチャやってることが伝わる非常に面白い作品だったので、語りますね。すでに放映時に2億人ぐらい語ってると思うけど、私が語りたいから語るね。
語りたいところだけ語っているので、視聴済みの方向けです。

死者という設定で発生する、安定と不安の両極

ゾンビィガール7人によって組まれた、佐賀ご当地アイドルグループ・フランシュシュ。

大前提として、フランシュシュの少女たちは全員死んでいる。最新でリリィちゃんが2011年に、夕霧ちゃんに至っては明治時代に。
死者であるがゆえにこれ以上年もとらず、夜に眠る必要もなく、怪我や健康に気を使う必要もなく、試験もなんにもないので夜通しレッスン場で自己鍛錬もできちゃう。女の子らしく腐乱臭を気にするムーブは何度かあるけど周囲の反応から察するに体臭もなさそうで、特殊メイクを施してしまえば、キラキラで柔らかくて最高に可愛い年頃の女の子のままで居続けられちゃう。

───この段階で既にやばいのがわかると思う。永遠でありながら、絶望的に先がない。

第1シーズンの全12話は、突然の結成→地道な活動を続けながらメンバー間の絆を深め、どんどん調子をあげていき、最終話にして改めてスタートをきり、「おはよう!」と輝かしい希望と未来を感じさせて終わる。超可愛い。ミラクルかわいいっシモ。

でも「この先は…?」と考えた途端、影がさす。
彼女たちは死んでいる。老化しない代わりに、もはや肉体の成長はない。

第2シーズンで世界が崩壊して、俺もお前もゾンビィだーでガチのゾンビランド展開になるか、ゾンビィばれするけどお茶の間に受け入れられる死体に優しい世の中になるかでもしないと、フランシュシュの活動限界は長くて数年。

第1シーズン内では、今に必死な少女たちは誰もそれに触れていない。外側で見ている者だけが感じる不安。安心して見ていられる可愛さやクオリティでありながら、常に漠然とした不安や不穏がつきまとう作り。
秀逸。すごい!

生者と死者、近くに立ちながら既に分かたれている岸辺

没後数年~20年ぐらいのメンバーは、まだ近親者や親しかった人が生きている。メンバーの中には、元々アイドルや子役で世間に顔を出していた子も少なくない。

──であるにも関わらず、彼女たちはアイドルグループ・フランシュシュとして堂々と顔出しもして、リリィちゃんに至っては愛するパピーと間近で対面して、言葉も交わしている。
だからといって、そこで即バレには繋がらない。 生者たちは眼の前の相手に懐かしい面影を強く重ねながらも、「本人だ」とは思わない。思っても「そんなはずがない」と即座に打ち消す。

ここ、かなり好きなところなんですけど伝わるかしら。語りますね。

これについてはサキちゃん回が伝わりやすく、最高でした。
サキちゃんの昔の相棒で、今や母になったかつての少女は、サキちゃんの外見をしっかり肉眼で認識しても、それが昔の友とは気づかない。面影を重ねて、思わず「サキ」と呼んでしまうけど、サキちゃんに「誰のことだ?」と返されればそれ以上は強く問えない。
20年の月日の中で映像的な記憶は薄れている…という描写がとてもリアル。さらにここに、「あの子は昔に死んだのだから、ここにいる彼女が、あの子であるわけがない」という常識も追加される。

時の流れがもたらす癒やしと忘却。それでも咄嗟に名前が出てくるほど大事な相手であったこと。置いていかれて、生きるしかなかった側の切なさ。忘れたって覚えている。その諸々が表現された、素晴らしい回でした。

置いていってしまった側であるサキちゃんもリリィちゃんも、自分の正体は決して明かさない。リリィちゃんにとってパピーは間違いなく最愛の人だろうに、言わない。「既に自分は死んでいるから」というタブー意識を前に、「言いたい」という葛藤すら見せない。岸辺は分かたれているという強い認識がある。このあたり、自覚があるという以上の何らかの制約を感じないでもない…

記者が過去の写真を見比べて何かに勘付いた様子の描写がありましたが、第2シーズンではどうなるんだろう。裏での奔走は巽幸太郎にまかせて、フランシュシュはキラキラでアイドルしててほしい。

追記①
ところでさくらちゃんなんて一番身近に親が出てきそうな女子高生設定なのに、シーズン全部に渡って頑なに伏せられたままでしたね。

追記②
8話のリリィちゃん回では、リリィちゃんとパピー両方の気持ちになって「夢で会えたら ちゃんと褒めてね」でガチ泣きしました。神回すぎる…
明確に届けたい相手が想定された、お手紙のようなメッセージソング。あれ作ったの巽幸太郎なの? 気持ち汲み取りすぎじゃない?

巽幸太郎に感じるタキシード仮面み

もう100万回語られてるだろうけど巽幸太郎ですよ。
死せる女の子たちを洋館に集め、このゾンビィどもめと罵り、アイドル業とレッスンを強要し、うるさくて鬱陶しい、且つ普段は突き放し気味の適当ムーブで、常に彼女たちを管理している謎のプロデューサー。絶妙に腹の立つCV.宮野真守(敬称略)

聞いていてナチュラルにイラっとくる喋りをする彼ですが、
・資金繰り
・営業
・作曲
・レッスンのスケジューリング
・連日の全員分の特殊メイク
・常に運転手役
・あらゆる現場で常に彼女たちに帯同
・振り付け※
・衣装のデザイン・手配※
・曲組みやステージの演出※
最後3つは流石に外部協力があると願いたいところですが、仮にこの3つを除いたとしても、全部一人でやっているとしたら敏腕どころの騒ぎではない。命を燃やすレベルで彼女たちに尽くしている。

営業での謎のたらしこみを見ても、イケメンの部類なのは間違いない。CV.宮野真守だし。なのに自分の管理下にあるフランシュシュガールズに対しては、三枚目ウザムーブでもって心理的距離をとり、「必ず近くにいるけど、傍にはいない」ぐらいの物理的距離もとっている。

フランシュシュは7人で団結し、スポットライトを浴びるのは彼女たちで、巽幸太郎はあくまで+αであり、裏方である。この関係性のわかりやすい類似イメージとしてすぐ浮かんだのは、セーラームーンにおけるタキシード仮面です。

タキシード仮面は、まもちゃん/キングとしての
・少女漫画における「かっこよくて頼れる年上の彼氏」という憧れの象徴
・主人公と前世で夫婦、現世も恋仲になる
という大きな設定もありますが、今回はこの2つではなく「物語の中でタキシード仮面が果たしている役割」の話をしたいと思います。

ていうか皆セーラムーンわかる? ついてこれてます?
タキシード仮面わからない方はぐぐってね。タキシードで仮面つけてる人が該当人物です。

一度でもセーラームーンを見たことある方にはすぐ伝わると思うんですけど、タキシード仮面は「セーラー戦士がピンチに陥ると、その状況に一時的に介入して、突破口を作ってくれるお助けキャラ」というポジションです。
序盤戦闘には不介入。あくまで主戦闘はセーラー戦士。でもタキシード仮面はいつも見守っていて、ピンチには必ず助けてくれる。それでいて、彼がトドメを刺す…つまりお株を奪うことはない。運命の相手であるセーラームーンとは通じ合う描写はあるけど、メンバー全員からモテモテちやほやされることもない。

彼は群衆の喝采を浴びるヒーローではないのです。見えなくても必ず空にある、太陽の役割としてそこにいる。
「自分たちは見守られている。外側から守ってくれる存在がいる」と無条件の信頼のもとで少女たちをのびのびさせることができる、安心の象徴。

こういう『損得の絡まない、父兄的な守護者による絶対的な安心』を、現代社会の男女関係で男性に求めるのは難しいし、酷なことだと思いますが、セーラームーンは少女のための漫画だからね。

さて、ゾンビランドサガに戻ります。
チラ見えするスケジュール表を見ても、さくらちゃんたちは本当に毎日レッスンを頑張ってる。 悩み、苦しみながら、一生懸命レッスンに費やしていられる───その日々の何もかもを、巽幸太郎が作っている。
ガールズに気づきすら与えることなく、あのムーブと態度ゆえに特に労られることもなく、彼がいれば安心だと意識されることすらなく、ゆえに少女たちに精神的な負担をかけないままに。
パパなの…?

さらに彼をやべーなと思うのは、多分彼は、少女たちからどう思われようが大して気にすることもなく、彼の願いを叶えるために一切を請け負っているんだろうな…ということが、なんとなく見ていてわかることです。
独善的で、同時に悲しいぐらい愚かで献身的でもある、自分の夢のために。

そんな巽幸太郎ですから、これで彼がただの優しくてイケメンな愛されキャラ(CV.宮野真守)だったら、間違いなくモテモテゾンビハーレム夢小説の主人公ですよ。
しかしながら彼はゾンビガールたちに手を出す素振りは一切見せない。素か演技かはともかく、惚れさせない距離感を作り続けている。見ている私達だけが、彼がどれだけの仕事をしているかがわかる。わかっていても絶妙に腹の立つCV.宮野真守。この塩梅よ…

完璧に守られた女の子たち

前章を受けて、若干続きっぽくなる話ですが。

キラキラしてて頑張っている女の子たちが、「アイドル」の「若くて可愛い」「女の子である」───ということを理由とした嫌な目に合わずに、そしてそれらを気にすることもなく、安心してキラキラすることに集中できてるって、すごくすごくいいよね。

フランシュシュ・ガールズはスマホを持たず、ネットも隙を見てこっそり。外部との接触はアイドル活動中の、限られた条件下のみ。つまり、巽の管理が及ぶ範囲内。
あの洋館に大した娯楽があるようにも見えず、死者といえど若い女の子たちが部屋でぺたんと座っていたりするのを見ると、あまりに退屈で酷なのでは…?とも思ったのですが、ある意味で完全に守られてもいる。

何からか。
たやすく性的に消費され、悪意も性欲もこじれた情念もSNSで本人に直接ぶつけられ、無自覚に残酷な目線や言葉を浴びる、そういうびっくりするほどお手軽に形成される小さな地獄から。
経歴的にもう十分知っている子たちもいるだろうけど、少なくとも今は、それらを気にする必要なく、努力に集中できる環境にある。

他に居場所を探しにいくことも難しい死者だからこそ成立する、閉鎖的で、安心で、小さな鳥かご。

ただこれは、一概に支持できることでは全くないし、「完全に守られる代わりに隔離・行動管理されている」ことに対して少女側に選択の余地がない理不尽については、現状言い訳のしようがないな! 理不尽だな!
超理不尽だし、不自由なのは事実なんですよ。「身よりもなく、生きていく術がない死体の女の子にアイドル活動を強制」って、これはこれで強制労働とか色街システムのあれなのでは…?って思わんでもない。 現状檻であり、安心な砦でもあるのですね。

この子たちの先が見えないから、この辺りはまだちょっと言及しづらいんですが。なので、この件については
「めちゃくちゃだが、ある意味強固に守られてもいる」
「結果的に女の子たちが安心してのびのびできているので、それについてはとても安心する」
「ただし、いずれ新しい展開や問題が起こる可能性は高い」
…ぐらいに今は留めておこうと思います。

ゾンビではない何か/ゾンビでないなら何なのか。

ゾンビゾンビ言いながらさんざん語ってきていまっっっさらですけど、そもそもゾンビじゃないよね!!!

主人公をゾンビに、ゾンビな日常生活ものをやるなら、通常まず「ゾンビとは」と作品内での定義紹介がセオリーな気がするのに、この作品は不自然なまでに彼女たちの生態について語らない。ゾンビの認識も、作品内における既存作品のイメージ任せ。
ここがもうなんか、なんか、ない?? 意図的に伏せてない?? 気の所為??

ゾンビ映画好きの私ですが、何を持ってしてゾンビと定義するかは意見の分かれるところだと思います。でもとりあえず彼女たちはスタンダードなゾンビではない。アンデッドというくくりのほうがまだ近い。

意図的に伏せた何かがない場合、多分制作陣でも「これゾンビかな?」って声はあがった気がする。でも敢えてゾンビという表現を使ったのは、イメージの伝わりやすさを優先したのではないかな。『アンデッドランドサガ』よりも『ゾンビランドサガ』のほうがわかりやすい。なんとなく。
製作者にゾンビ好きがいたら「これは…ゾンビじゃない…!」ってぷるぷるしてると思うけど、一般向けイメージ戦略として完全にこの選択は正解。すこぶる語呂もいいし。

そんなかんじで、ゾンビじゃないのに敢えて「ゾンビランド」にしたあたりも、考えられて作られてるのを感じます。あるいは、第2シーズンでこの世界におけるゾンビの定義が出てくるのかも。

◆一般的なイメージのゾンビとは?

そもそも一般的なゾンビって何よって話ですが。
ブードゥー教のゾンビではなく、映画・ゲームなどによる普遍的なイメージを語りますね。ウォーキング・デッド…海外ドラマのあれではなく『動く死体』という意味のほう。

大体の作品において、ゾンビは恒常的に動いています。目的なくさまよい、時に生前の名残のような反復動作を行い、生者に反応して、襲いかかっては食らいついて食べる。設定の作り込みによって、襲撃対象は人間限定/生物全般かは分かれる。

群れることも多く、作品によっては走ることもあるし、耐久度は差があって、噛み付くことで感染させるタイプも多い。ただし感染型は、まだ死体=ゾンビではない(※)というケースも多いのでさらに区分けが必要。
※死んでない例:バイオシリーズや28時間後、メイズ・ランナー等のクランク。クランクは確実にゾンビではないのにゾンビ扱いされている例でもある。

そんな中でも、
「既に考える力をもたない、知性のない腐りゆく死体」
であることはほぼ共通イメージ…だと思うんですけどどうだろうか。
ゾンビとは、死体なのです。死にたてでも、いずれ腐りゆく。損傷をうけても可動部が残っていれば動けるケースが多いけれど、死体なので治癒はしない。当然ながら代謝もない。
そして死体というのは有毒な細菌の巣窟であり、不衛生で悪臭がする───はずである。

◆フランシュシュたち…ゾンビィについて

ここでフランシュシュ・ガールズに戻ります。

・要所要所でスルメやお肉を食べている(消化が可能?)
・知性があり感情があり学習能力があり、他人とコミュニケーションがとれる(たえちゃん込み)
・足湯やお風呂を楽しむ感覚がある(温度を感じる肌感覚があり、腐敗を気にする描写もない)
背骨/首が折れる描写が幾度もあるが、すぐ戻る
首を筆頭に手足もよくもげるが、くっつけて位置を調整するだけで問題なく元通り
・銃や雷に撃たれても平気。

「脳・各感覚器・組織が死んでいない」「腐っていない」「破損したものが即座に奇妙な治り方をする」 が一番の「これゾンビじゃないだろ」って思うポイントかな…
さらにもっと根本的な疑問として、
・何十年前もの遺体、または事故/落雷等で死んだ体が、綺麗に残っている????
火葬の日本で、水気が残る死体をどうやって集めたのか。ましてや直近10年前~数十年前の死体を。夕霧ちゃんの時代はまだ土葬だったかもしれないけど、百年前の死体ですよ。

ここ。ここがおかしい。まずここが謎だし、なにげに一番不穏。

◆結論:ゾンビじゃない

ゾンビじゃない。もう明らかにゾンビじゃないこれ。

特殊メイクをしていない時、黒ずんで変色した緑の肌に落ち窪んだ目というリアルな絵柄で一般人に恐れられるというコメディシーンが何度かある。通常のあれはデフォルメモードで、リアルに見るとあの風貌だというなら、結構エグい…でもゾンビではない気がするんだよなあ…

強いて言うなら、フランケンシュタインの怪物。
もしくはロシアの死人(生前の姿そっくりなまま、身近な人を喰いにくる。動作は機敏で非常にずる賢くなり、足もめっちゃ速い。冬は土が凍ってしまうので、春まで土葬ができないロシアゆえに生まれた魔物だと思われる。怖い)…だけどロシアの死人は自然発生するもので、人為的なものではないんですよね。
となるとやっぱり感覚的にフランケンシュタインの怪物が近い。明らかに他人の意図が介入されている、という点において近い。何らかの反魂術、不死の何か。

死者の復活が一般的でない現代社会で、こんなことを成し遂げる人物がいる。巽幸太郎については過去の一片を除いて謎のままだし、「夕霧には世話になった」というあのバーのマスター、明らかに黒幕臭がするけどこちらも一切語られない。

不穏。

オススメ。

女の子たちが死してなおキラキラ輝こうと努力する裏で、視聴者だけが感じるふわっとした不穏。巽幸太郎の超個人的な動機のさらに後ろに、死人に踊らせて得をする何かがあるんじゃないか、という一抹の不安。

そんな語られない裏設定を匂わせつつ、表はあくまで健気な女の子たちのドキドキハラハラで健気なアイドルサクセスストーリーを大真面目にやっている。それがゾンビランドサガ

見ているうちに段々「ん…んん…?何か変だぞ…」ってざわざわしてくる作品好きな人は絶対好きだと思うし、そういうのすっ飛ばして『女の子たちが可愛いこと』にめっちゃくちゃ力入れていて本当に皆可愛いし、『可愛い女の子たちがトンデモ設定でアイドル頑張る話♥』としてだけ見ても各話充分にクオリティ高いので、ご機会があれば皆様一回見てみてください。
方言女子、がばいめんこいので。

とりあえずアマゾンプライムで見放題。

ところで公式に確認しに行ったらたえちゃんだけ享年29歳で二度見したんですけど、どういうことなんです?

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